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光について 6-1

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2005-02-22

今回は天嵩家モード、のち灯さま。
第2の大きな山場が近づきつつあり。


忘れているかもしれないキャラの名前一覧

天嵩 征 (あまがさただし) 灯・明の祖父
天嵩 匡子 (あまがさきょうこ) 灯・明の母
高江 勇二 (たかえゆうじ) 灯・明の父
 
 

 
 
「まだ起きとるのか。匡子」

 照明が落ちて家人のいない居間は、本来の機能を失ってひどく寂しげに見える。老いて眠りの浅い征は、飲み物を取りにやってきたその居間で、ソファに深く身体を埋めた娘を見つける。
 天嵩征の長女、天嵩匡子は、旧姓を高江といった。灯と明の母親である。
 彼女は酒を飲んでいるわけでもないし、テレビを見ているわけでもない。家中寝静まって静寂の落ちたリビングで一人、腕を組んだまま座っていた。

「父さんこそ。どうしたのよ」
「眠れなくてな。おまえもか」
「いいえ。そういうわけじゃないわ。ただちょっと疲れたのよ」

 気怠げな口ぶりの娘を尻目に、彼は冷蔵庫から愛飲するビールの缶を取り出す。

「明のことか?」
「色々よ。……ねえ父さん。わたしにも頂戴」

 娘の催促に応じてもう一本缶を抜く。そして彼女の座るソファの前の大きなテーブルに置き、自分も対面に座った。
 征は喋らない。皺の寄った顎の肉に手を触れて、うつむき顔の匡子をじっと眺めている。一方女の方は、自分が見られていることを知ってか知らずか、こちらも黙ったままビールのプルタブを開けた。

「おまえは母親だ。訳の分からん感傷は捨てろ」

 唐突に征が口を開いた。匡子は無言のまま顔を上げ、じっと父親を見つめるのみ。目尻によった消えない皺の萌芽が、彼女に自分の年齢を思い知らせてくれる。それは残酷でありながら、同時に救いでもあり得るような自然現象である。若さに任せた過ちは、時間の経過と共に薄れ擦切れ、最後には赦される。

「明はどんな子に育っているかしら」
「会えば分かる」
「そうね」

 征にも負い目がある。娘は一生添い遂げるはずだった男と引き離されたのだ。幸せでありうるはずの家庭も崩れ、手中の珠ともいうべき息子とも分かたれた。その原因が自分にあると分かっているからこそ、ここ十年間、彼は娘のしたいようにさせておいた。しかしそれも限界に近づいている。
 征には息子が居ない。彼が死んだ妻との間に儲けたのは二人の娘だけ。しかしそれを残念には思わない。古い名家にありがちな、男系嫡子を尊ぶ風潮とは無縁だった。だから老人が唯一の男子を――明を求めるとすれば、それは性差とは全く異なった価値基準に置いて為されるものである。
 
「明日のこと、灯はずいぶん楽しみにしているみたい」
「書いてやったのか? 委任状」
「ええ。不味かった?」
「いや」

 家に帰り着くとすぐに、灯は母親に携帯電話の委任状を書いてくれるように頼んだ。特に断る理由も見いだせない彼女は二三質問しただけですぐに書類の記入欄を埋めてやった。途中印鑑を探すのに手間取り、灯が家中の戸棚をひっくり返す様を眺めながら、いよいよ自分の心にケリを付けるべきだと考えていた。
 本当は、勇次が死んだときに終わらせるべきだった。誰に教えられたわけでもない。しかし分かっている。今この時期が最後のチャンスで、それを逃してしまえば、息子との関係は一生修復できないだろう。
 
「だからね。灯に言ったのよ。一度連れてきなさい、って」
「そう簡単に来るとは思えないがね。おまえがいいなら、わたしが会いに行っても良い」
「父さんが?」
「ああ。明はわたしの孫だ。おまえの息子であると同時に。高江の家には親戚もいない。わたしやおまえや、この家の人間を除けば、あれはたった一人だぞ」
「……そうね」

 深いオレンジの弱い照明だけが彼女の頬を照らしている。化粧をしていないからか、うっすら浮かんだ染みも露わに、匡子の肌は闇に浮かぶ。征の落ちくぼんだ瞳が、娘のそれを離さず捉えていた。
 
「わたしも薄々感づいとる。おまえが話そうとせんから、聞きもしない。だが、あれには関係のない話だ。わたしは明のためなら……」

 その後を続ける気にはなれない。娘の瞳は酷薄な色に塗りつぶされていて、実際には続けることができなかったのだ。
 
「父さんは、いつからそんなに家族が大切になったの?」
「光子が死んだときからだ。おまえの母さんが。それまでは、家族を省みることなんてなかったよ。確かにおまえの言うとおり」
「そうよね。ただ怖かっただけ。昔なら、わたしがこんなこと言った瞬間殴り飛ばしていたでしょ」
「ああ」
「親らしいこともしなかったわね。父さんは勝手に結婚相手を決めてきた。そして勝手に奪ったのよ」
「そうだ」
「それを…それを…偉そうに!」

 一口酒を飲み下す。征は思い出す。
 彼の勤めていた東光銀行には、はっきりと書類で示されていたわけではないが、幹部候補生になりうる新入社員を入社三年目で役員秘書の見習いとして配置する慣習がある。
 創業当時から続く幹部教育の風習に乗っ取って彼の元に配属されてきたのが、高江勇次であった。昭和の初めから東光銀行を支え、今では創業者一族よりも強い力を持つ天嵩家のいわば代表として、その名に恥じない業績を上げ続けてきた生粋のエリートである征は、役員室にやってきた長身の男を最初嫌っていたかもしれない。
 古い記憶を呼び起こすとき、いつも感じる何ともいえない苦みをかみ砕く。
 生来の激しい気性と竹を割るような明快な言動を好む征には、背だけがひょろりと高く、いつも薄い笑みを浮かべて立つ若者になんら親近感を覚えなかった。頼りないのっぽ。それが第一印象である。
 しかし、一年のうちに、彼は「頼りないのっぽ」に対する見方を徐々に、だが確実に変えていった。高江勇次は自分の意見を言うことはほとんどないが、言いつけられた仕事は淡々と完璧にこなす。社内では癇癪持ちで有名な征の要求に完璧に応えてみせたのだ。彼の全ての行動を先読みする洞察力と、自分の分を知ることができる勇気を征は愛した。他の研修生がとかく派手な仕事を求めてお茶くみの真似事を厭う中で、彼はただ黙々と割り振られた役割を演じきった。「秘書向きの男」そんな評判を、一年彼を間近で見てきた征は笑った。退屈な数値だけの書類を徹夜で整理しながら、その数字の意味を必死で考え、学ぼうとする姿。征のどんな言葉も逃さず、そこから一片の有益な情報でも盗みだそうとする「意地汚さ」を、征は愛した。
「きみは熱心だな。普通最近の若いのはもう少しスマートなのを好むと思ってたんだが」
そう戯れに話しかけた征に、いつもと変わらぬ微笑を浮かべたまま勇次は答えた。
「昔から勉強できる時間は貴重でしたので、子供の頃と比べれば、暇がありすぎて驚くくらいです」

 後に征の元を離れ海外事業部で巨大な利益を上げた彼を、長女の婿にと考え始めた征は、その経歴を詳しく調べあげた。

 高江勇次は北陸の小さな漁村の漁師の元に生まれた。父親は彼が子供の頃に酒と博打で身を持ち崩して船を売った。母親が食堂と付近の缶詰工場を梯子しながら家計を支えていた。
 勇次が十歳のとき、父親は死んだ。飲み屋から帰る途中に酔って海に飛び込み、呆気なく人生に幕を引いた。溺死である。
 地元の人間は幼い勇次と母親を哀れんだが、哀れみは見下しと同意であった。彼は地元の中学を卒業し、地元で一番の進学校に進む。学業の合間にアルバイトをし、家計を助けながら、これも首位で高校を卒業し、東京の大学に進んだ。奨学金を受けて一人暮らしの資金とする一方で、寝る間もないほどアルバイトを入れ、そのほとんどを母親に送金していたらしい。
 
 青年の経歴をあらかた知ったとき、征は、勇次の類い希なねばり強さ、落ち着き、そして先読みの能力がどこから来たものなのかを理解した。周囲に隙を見せず、「落伍者」の汚名をすりぬけ、他人の顔色を読み、常に向上しようと望む。それは征の中にはない美徳であったのかもしれない。
 溢れかえる金があり、幼児から最高の教育を受け、他者を自分に合わせることを当たり前としてきた男が、この泥臭い「秘書向きの」男を受け入れることができたのは、だからきっと、社会に出て過ごした長い年月のお陰だろう。

 家庭では専制君主として君臨してきた征は、娘婿をこの男に決めた。勇次の経歴と顔写真を持って帰宅した彼は娘を呼びだし、一言告げた。
 
「匡子。これがおまえの婿だ」


 回想の海に引きずり込まれ、無言でビールを飲み下す彼を、匡子の一言が現実に引き戻した。
 
「父さんはあれでしょう。勇次さんがお気に入りだったものね」
「ああ。気に入っていたな」
「わたしのほうがおまけだった。あの人を引き込むための…」
「そうだ」
「わたしは実の娘よ!」

 一瞬語気がはじける。身を乗り出した匡子の両手は、今にもテーブルに降り下ろされんばかりに伸びきっていた。だが、そんな娘の動きに征は身じろぎ一つせず、厳然と言い返した。
 
「それがどうした?」
 
 
 

 
 
 
 銀色のブレスが、きらきらと陽光を受けて輝いている。腕時計の針は十二時を二分過ぎて、時計台の前に立つ彼女は浮き足立つ心を抑えようと苦心する。濃いグリーンのワンピースから伸びた真っ白な二本の足。白いヒールサンダルへと吸い込まれていく脹ら脛の輪郭が、陰となって地面に伸びていた。
 ここに立って待つこと、もう十分は経っている。一度男二人連れに声を掛けられたが、とりつく島もない灯の反応を見て諦めたのか、早々に立ち去ってしまった。見知らぬ男たちに声を掛けられるのは嫌な出来事だったものの、日の光を受けて柔らかく揺れるそよ風が彼女を癒やす。右手に提げたバッグの中には、昨夜母親に書いて貰った委任状が入っていた。

(明とお揃い)
 
 きっと不案内の彼のことだから、機種もわたしが決めてしまおう。そんなことを考えて忍び笑いを漏らす様も、装いの美しさに紛れて不振な感じを周囲に与えることはない。美術の教科書で見たボッティチェリの絵画のように、淡色の裳裾を幾重にもひらめかせた女神のように灯は直立していた。
 それは彼女の容姿が与える印象ではないだろう。ただ季節が――一年の中で最も素晴らしい春の日が、そんなイマージュを少女に付与していたのである。
 
「すいません。ちょっと遅かったですか?」

 声の主は、駅をぐるりと囲むロータリー脇の歩道からやってきた。掠れた青のジーンズに白い長袖シャツを着込んで、上から二つボタンを開けている。肩胛骨から伸びた首筋をぼさぼさに伸びた髪の襟足がさながら毛皮のように囲んでいた。
 
「そんなことないわよ。身体は大丈夫?」
「大丈夫ですよ。それにしても…今日は暑いですね」

 手で拭った首もとに汗の破片が光る。息の上がった青年の様子に、ひょっとしたら走ってきたのかもしれないと思い立って、灯は少しうれしくなった。
 彼女は幸福だ。一秒先、十分先、一時間先、この後二人が過ごす時間を心待ちにしている。
 強烈な感情は色を持っている。だが、強烈でなくとも、ゆっくりと浸食する感情もある。胸の奥底からわき上がり心臓の周りを一分の隙もなく取り囲む。そんな感情は色を持たないが、代わりに味を持っている。
 
「どこ行きます?」
「どこでもいいわ。どこのお店でも、値段はほとんど変わらないから」
「おれ、あんまりこの辺の店には来ないんで…」
「じゃあ、わたしについてきて? 時間が大丈夫なら」
「了解です」

 二人はのんびりと歩き出した。明の隣に立つと、彼女の頭頂は彼の肩を少し越えたくらいまでしかない。一歩の歩幅まで違う。普通の速度で歩けばすぐに置いて行かれてしまう。だが、明の歩調はゆっくりしていて、灯の歩速でも十分に付いて行くことができた。

「最近の携帯ってカメラ付いてるんですよね?」
「そうよ。撮った写真を送ることだってできるんだから。すごいでしょう?」

 我がことのように自慢する灯に彼は相づちを打つ。

「そういうの。そういう小さい機械の進歩って本当に早いな。それにしても…カメラですか」
「ええ。わたしも時々お友達と撮るけど、最新のやつは凄いの」
「写真かぁ」
「明は写真嫌い?」

 彼に何かを尋ねるとき、彼女の口ぶりは平生に比して無防備になる。幼子が無邪気な瞳を向けて、空は何故青いのか、と尋ねるように、灯の瞳も大きく見開かれている。

――これで猫被ってるんなら大したもんだ。

 十八にもなってこれほどまでに他意のない視線を向けることができる人間がいるとは、明には到底信じられない。どこか山奥にでも監禁されて、人と触れあうこともなく過ごした過去でもあるならばいざ知らず、仮にも人間社会の中で長い年月を過ごした人間だ。それがどうやったらこんな表情を作り出せるのか。無垢の仮面の下でなにを考えているのか、覗き込んでみたいと心底思う。

「撮る機会がなくて。修学旅行とかそういう時に記念写真を撮るくらいです」

 中学校の修学旅行では、係の者が撮影した写真のリストが帰ってから回ってきた。焼き増しが欲しい者は、リストの脇に欲しい枚数を書いて金を払うと希望した写真が渡される仕組みになっている。友人達が賑やかに騒ぎながら気に入った写真を選んでいるさなか、明は一人興味なさげに席に座っていた。
 明は写真が好きではない。光沢紙に刻印された自分の顔には生気がないように思われるからだ。彼の顔面からはいつも疲れがにじみ出ていて、瞳は頬骨の奥に押し込まれていた。浮かべた笑みは常に薄く、まるで石膏の仮面のように、寸分違わぬ歪みを形作っている。
 それはほとんど、デスマスクに似ている。

「じゃあ、携帯を買った記念に撮りましょう! ね?」
「それはいいですけど……先輩は写真好きなんですか?」
「わたしは、そうね、好きだわ。だって、写真に残しておけば、そこに居なかった人にも見せられるもの」
「見せてどうするんです?」

 つまらない答えだ。彼は心内でひとりごちた。鼻白んだ空気を巧妙に隠したはずなのに、気が付けば語気に反映されてしまったかもしれない。彼はさりげない素振りで姉の顔を覗き込む。しかし予想に反して、少女の顔に張り付いていたのは、ある種の強い意志――悲壮ささえ感じさせる張りつめた空気だった。

「わたしが、見せたいの。もう居ないその時のわたしを、その時のわたしを知らない人に」

 灯の言葉は普段音楽のように流れる。角という角が研磨されて、自由に空間を泳いでいく。だが、今、灯の語気は硬く、継ぐ息の撥音が流れを断ち切っていた。

「そういうのっていいと思いますよ」

 彼は努めて明るく答えた。返す言葉は頭のどこを探しても浮かんでこなかった。

 口を閉じて無言で歩く。駅前からアーケード街に入り、人の群れをすり抜けて進む。車が二台通れば窮屈な路地の両脇には、隙間なく店が軒を連ねていた。眼鏡屋、本屋、CD屋、服屋に菓子店、ファストフードのテラス。そのどれにも数人群がって、春の陽気に釣られたままそぞろ歩きは続く。

 五分も歩いただろうか。駅の中心部から遠ざかるにつれて人影もまばらになりつつある。

 そんな過疎と密集の丁度狭間に、二人の姉弟は最初の電気屋を見つけた。
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