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光について 4-3

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2005-01-27

光について 4-3

最新話。
修羅場モード。
キリが悪いところを強引に切っているので、多少違和感が残るけれど、文中の不整合、唐突のなさは5回以降で描かれる予定。
 無駄に大きな身体を二つ折り、ティッシュを鼻に掛けて息を強くはくと鼻水が出る。上顎の奥、炎症を起こした粘膜がひりひりと痛む。明は鼻孔の奥にむずがゆさを覚えて目覚めた。部屋に響く破裂音。廃液を包んだ薄紙を丸めると、枕元に置いたゴミ箱に放り投げるが、紙のボールは標的を舐めて床に落ちた。
 
「明、目が覚めたの」

 ふすまが開いて、灯が入ってきた。黒いストッキングに包まれた小さな足が彼の視界に映る。
 
「ああ、すいません。眠っちゃってたみたいです」

 もう大丈夫、そう言おうと口を開いたが、代わりに出てきたのは空咳だった。枕元に、少女の揃えた膝が付いた。額に置かれた手のひらから彼女の匂いをかげるはずなのに、詰まった鼻が許してくれない。
 匂いは人を安心させる。明にとって、もっとも近しい匂いは父親のそれだった。極微量の汗とタバコと、洗い晒しの服の匂い。胸一杯に吸い込む空気が無臭であることに、彼はもう堪えられない。
 
「よく寝てたわ。少しはよくなった?」
「…はい。熱も引いたみたいです」
「うそ。まだ熱いじゃない」

 頭上から声を聞いたのはいつが最後だろう。高校に入って父親と身長が並んで以来絶えてなかったその状況は、弱った彼の脳髄にはひどく甘美なものだった。
 
「そうですか? 先輩の手、冷たいですね」
「手の冷たい人は心が温かいって、よく言うでしょう?」
「初耳です。じゃあおれは駄目かもしれませんね。手があったかいですから」
「馬鹿なこと言って。真に受けないの」

 軽く二度、彼女の柔らかい手のひらが額を叩く。赤ん坊をあやす母親はこんな風にするのだろうか。妙に子供扱いされているのが気に入らないが、そう不快でもない。明は喉がひりひり焼けるのも忘れて、熱が映った女の手のひらを堪能する。
 会話とも言えないような短いやりとりのあと、一瞬とぎれた空気を灯がつなぐ。
 
「ねえ明、もうなにか食べられる? おかゆ作ってみたのよ」
「先輩料理うまいんですね」
「おかゆは今回が初めて。あ、それと、昨日のお弁当は忘れてちょうだい。あれはほら、気候のせい?」

 料理といわれて弁当のことを思い出したのだろう、早口に弁解する彼女が明にはおかしかった。
 
「大丈夫。ちゃんと分かってますから」
「本当に?」
「はい」
「じゃあ、よし。今持ってくるわね。おとなしくしていて」
「それも大丈夫ですよ。子供じゃないんですから」
「分かってる」

 畳にすれるスカートが衣擦れの音を立てる。綺麗な立ち居振る舞いだ。明は思う。こうしてみれば、天嵩灯という少女が学校で騒がれるのも分かる気がする。伸びた背筋は美しく、気品のようなものを感じさせる。
 
「灯さま」

 昨日友人から呼びかけられていた姉のあだ名は怖いくらいにぴったりだ。天蓋付きのベッドに眠る姿を想像しても滑稽に感じないような女が一体どれほどいるだろう。昔古い洋画で見たことがある。レースの付いた寝間着のまま、乳母に髪を梳かして貰うお姫様。金髪碧眼でこそ様になると思いこんでいたのは間違いだったらしい。
 灯が戻ってくるまでのほんの短い瞬間、彼はそんな空想に浸っていた。身体が弱ると精神も打撃を受ける。自分でも分かっていながら、馬鹿げた安堵感に今は身を任せていたかった。
 
 
 
 

 
 
 
 目の前で倒れ込んだ明を灯と倖は二人がかりで寝室に引きずっていった。百八十センチを越える長身は、いかに細身といえど女一人ではどうにもできない。灯が彼の両脇から腕を入れ、倖は両足を揃えて持つ。床に落とさないようにゆっくりと運ぶ。意識のない人体は一個の純然たる肉塊と化して非常に重たく感じられる。居間の奥にある彼の部屋に付く頃には、華奢な二人の額には一筋汗が浮いていた。
 一仕事終えてから、倖は姪にその後の看病を任せて帰った。明とちゃんとした顔合わせができないのを残念がってはいたものの、仕事のスケジュールには勝てなかったらしい。灯はといえば、倖に悪いとは思いながら、ひょんなことから転がり込んだ二人きりの時間がうれしいのだ。彼は弱っている。なにかと理由をつけて逃げ出すこともできない。ならば自分さえうかつな言葉を発しなければ、まともな時間を過ごせるだろう。そこまで考えて灯は気が付く。これではまるで、罠にはまったネズミに飛びかかる猫ではないか、と。  
 作り置きしておいた粥の小さな鍋を火に掛けている間、空いた手で盆やら茶碗やら必要なものを揃えていく。男二人で暮らしていたとはいえ、勇次は一通り食器の類を揃えていたようだ。棚に並んだ二つの大きな茶碗を見つけ、灯はほほえみを隠せない。小食の女三人と年老いて食欲の減退した老人しかいない天嵩家では目にすることができない、どんぶりに近い大きさ。
 
(わたしなら、一杯で三食分かしら)

 手に取って、茶碗の縁をそっと撫でる。長年の酷使に耐えて上薬に亀裂が入りながらも実用に害はないそれは、ひんやりと冷たく灯の皮膚を刺す。
 
(どっちが明のなんだろう)

 二つ並ぶ茶碗を前に、彼女はしばし考え込む。柄も大きさも同じ。ならば判断のしようがない。
 
(明に聞けばいいかな)

 彼女は重ねて二つとも持っていくことに決めた。
 
 天嵩家では各自の生活用品は峻別されている。それぞれに愛用の茶碗や箸があり、コップもマグカップも使用者は定まっていた。シャンプーからタオル、シーツに至るまで全てである。
 翻って男二人の暮らしにその種の区別は存在しなかった。茶碗も箸も適当に、片方を明が使えばもう片方を父親が使う。住環境が刷り込んだこの差が大きな意味を持っていることに灯は気がつかなかった。
 
 
 
 

 
 
 
「こういう団地って、来たの久しぶりかも」

 明の部屋に続くアパートの階段を上りながら、先頭をゆく孝太郎に静が話しかけた。
 
「そうなん?」
「うん。うちも小学校まで団地だったんだけど、中学に入る時に引っ越したんだ」
「へえ。家建てたの?」
「うん。自分の部屋とかできて、マジでうれしかった。あの頃のかわいかったわたし!」

 静の声はかすかに上擦っている。同性であっても、友人の家を最初に訪れる時にはある種特別の感慨がある。それが異性、しかも小さくない興味を持つ者の家とあればなおさらだ。
 
「自分で『かわいい』とか言うなよ」
「うっさいなぁ。ほんとのことじゃん」
「OKOK。ほんとのことだ」

 静をあしらう彼はといえば、一度来たことがあるだけに強い感興はない。覚えたばかりの酒の味をじっくり楽しみたくて、明の家に転がり込んで二人で飲んだ。父親は泊まりがけの仕事らしく、家には彼ら二人しか居ない。馬鹿騒ぎをすることもなく、ポテトチップスを肴にブランデーやらワインやら、強そうな酒を適当に流し込む。結局二時までたわいない話をしていたところで彼は眠気にとらわれた。短い微睡みの後で目を覚ますと、明が新聞配達に出発するためにウィンドブレイカーを着込んでいるところだった。
「六時頃帰ってくるから、それまで寝てろよ」
そうつぶやいて家を出る明の後ろ姿が妙に鮮明に脳裏に残っていた。

 
 玄関の呼び鈴を押したのは静。明の一人暮らしを分かっているからか、友人の気安さからか、戯れに連打する。室内から漏れ聞こえる電子音は残響の上に残響を被せて、中ではさぞかし五月蠅く聞こえるだろうと、孝太郎は少し気の毒になった。
 
「おい、やめろって。明弱ってんだから」
「高江のくせにあたしに見舞いに来ていただいてるわけでしょ。その辺の心構えがなってない。素早く出てくるべきじゃん」
「ったく。あいつ怒らせるなよ? おとなしい奴ほど怒ると怖いんだぞ」
「高江が? 大丈夫大丈夫。ヒー・イズ・マイ・フレンド!」

 静は手をゆるめない。いつの間にか呼び鈴連打は三三七拍子のリズムを刻んでいる。そろそろ本気で止めるべきかと孝太郎が思い始めたとき、不意に扉が開いた。
 
 
 
 

 
 
 
「……明の、お友達?」

 孝太郎は今までの人生の中で、これほどに居心地の悪い時間を過ごしたことがない。目の前に立っているのは学校の有名人、半ばアイドル的に騒がれる三年生の天嵩灯。もちろん彼も灯を見たことがあるが、そのときの彼女は数人の友人に囲まれて和やかに微笑んでいた。確かに綺麗だとは思ったが、それ以上の印象はなかった。だが、今このとき、手の届く位置に対峙する灯はひどく恐ろしい。逆光になった玄関の洞窟、その奥に彼女の透き通る白い肌がぽっかり浮かんでいる。
 
「ああ…ええっと、はい」
「そう。お見舞いに来てくれたの? ありがとう」

 瞬間冷凍されたマグロのように、呼び鈴連打の指を伸ばしたまま固まっていた静が、灯の一言で気を取り直した。
 
「ほ、ほら、坂下駄目じゃん! あたし言ったじゃん! ねえ、チャイムならしすぎだって。ほんとに子供だなぁ、坂下は!」
「えっ? おれ?!」
 
 孝太郎としては苦笑いするしかない。結構深刻な状況をよくあるコントのような成り行きに転化することができたのは、静の苦し紛れの言い訳だった。
 
「あんたに決まってるでしょ。ガキっぽいことするのは。先輩済みません。こいつにはよく言い聞かせておきますから!」

 舌の動く限り最高速でまくし立てる静を、薄い笑みを浮かべた灯が見ている。無言で二人の対峙を見守る孝太郎だったが、静が口を閉じるなり沈黙した場を温めようと内心必死だった。
 
「ああ、その、おれら明の見舞いに来たんですけど、先輩はその…」

 昨日明を訪ねてクラスにやってきたのも驚きならば、彼の家から出てきたのにも驚きを隠せない。一番しっくりくる説明は、二人が恋愛関係にある、というものだが、接点もなければそんな素振りを見せたこともない明を身近に見ているだけに、微量の違和感が残るのだ。
 
「わたしが先輩だって、なんで?」
 
 平生大きな瞳を更に大きく見開いて尋ねる灯には、説明できない愛嬌がある。一目惚れなどしたこともない孝太郎だが、一瞬その表情に惹きつけられて二の句を告げない。そんな彼の後をくんで静が答えた。
 
「先輩超有名ですよ! 灯先輩ですよね。ねえ坂下、マジで可愛くない?」
「え? ああ、うん」

 小声で孝太郎に囁く。もちろんすぐ目の前に灯はいるのだから、どれほど声を落とそうとも聞こえてしまう。彼女は同性からのあからさまな評価に面食らうが、どう答えればよいのかも分からずに黙っていた。
 
「先輩先輩! ここ高江の家ですよ? なんでこんなとこにいるんですか? ひょっとして、高江に弱みとか握られてたりするとか? 変な写真とか? マジで? 高江最悪!」
「熱田ちょっと落ち着け。いいから落ち着け」

 孝太郎としては、静に好き放題しゃべらせておくのは不味い。状況的に、一人暮らしの男の家から女が出てきた場合、一番大きな可能性を考えると非常に不味い。先ほどの悪戯で胸中いらだっているはずの灯を刺激するだけですむならいいが、場合によっては明も怒らせることになる。見舞いは自分の提案なだけに、変な諍いに発展しては困るのだ。
 
「変な写真?」

 しかし灯は怒るそぶりも見せず、相変わらず微笑を浮かべていた。上辺だけのものか、それとも本心か分からないが、とにかく怒声は飛んでこない。彼は灯の落ち着いた対応を渡りに船と、この場からの撤退を決めた。
 
「写真とか全部こいつの妄想ですから。スルーでお願いします。……じゃ、じゃあ、明に伝えておいてください。大した用事もなかった…」

 辞去の口上を言い終えようとするそのとき、玄関の更に奥、外からは全くの漆黒に見える廊下から声がした。
 
「先輩、だれ?」
 
 明の誰何を耳にした瞬間、灯はものすごい勢いで振り返ると、小走りで彼のそばによって肩を貸す。
 
「いいから寝ていなさい。ほら、ちゃんと何か羽織って…」
「もう大丈夫ですよ」

 ふらつく足を圧して出てきた明は、一日会っていないだけなのにげっそりとやつれているように見えた。しかし、その疲れの浮いた表情には、普段の薄い皮膜のような冷気がない。風呂に入ったあとの弛緩した皮膚のように、張りつめた雰囲気が霧散していた。
 
「わざわざごめん。ただ風邪引いただけだから」

 語りかける口調は柔らかい。孝太郎はふっと心が軽くなるのを感じた。天嵩灯という少女が彼のしこりをほぐしてくれたのならば、友人のためにも喜ばしいこと。この珍妙なお見舞い道中もゆっくり収束する。
 彼がそう思い息を吐いた矢先、静が動いた。
 
「高江っ! 先輩から離れなさいよっ!」

 屋内に飛び込んだ静が、灯にもたれ掛かるように立っていた明を突き飛ばしたのだ。
 
「馬鹿! おまえなにやってっ!!」

 強烈な陽光から室内の薄明かりに目が慣れる間もなく、静を引き留めようと一歩遅れて暗闇の中に飛び込んでいく。
 
「あんた先輩に失礼でしょうが! どんな弱み握ってんのよ! えっ?!」

 尻餅を付く形で倒れた明は呆然と静を見つめていた。
 
――マジでやばい。

 なんとしても静を止める必要がある。灯が動く前に、今すぐに。孝太郎がいよいよ手を出そうとしたそのとき、しかし先に動いたのは灯だった。
 
「誰が見てもあんたと先輩釣り合わないでしょうが! 先輩迷惑するじゃん! そんなん自分で気づかないの?!」 
 
 静の言葉を遮る甲高い破裂音を収納する場所は、手狭な廊下のどこにもない。孝太郎も平手打ちを浴びたことがある。当時付き合っていた彼女を放り出して他の少女と遊びに行ったことがばれたとき、涙混じりの強烈な奴を食らった。しかし、今の一発とは桁が違う。ほとんど渾身の一撃といってもよい。事実食らった静は衝撃で倒されて、頬に手を当てていた。
 
――うわぁ、全体重かかってたぞ、今の。
 
 思惑に反してひどい修羅場になった状況を後目に、冷静なもう一人の自分がつぶやいていた。
 
 明をかばいながら中腰の灯がゆっくりと立ち上がった。緩いウェーブの掛かった髪が今にも動きそうなほど、その姿は不穏な空気を纏っている。
 
「出て行きなさい。早く。すぐに」

 一語一語、丹念にすりつぶした言葉。そう低くもない声だが、孝太郎には地面から沸き上がってくるように思われた。
 
「ほんと、本当にすいません。おい、熱田、おまえあほか? ほら、立て! 帰るぞ。明ごめん。先輩もすみませんでした。こいつちょっとおかしいんですよ。いや、悪気はないんです。ごめんな、明。マジで…」
「早く行きなさい」

 灯は最後まで言わせなかった。腹に突き立てる短剣のように鋭い語気で一言、そう言い終えると、明に向き直り二度と振り向こうとしなかった。孝太郎は呆然とへたりこんだままの静を引きずりながら、それでも謝り続けていた。
 明の顔が見えた。彼もまた突然の成り行きに驚いているのか、狐につままれたようにぼうっとしている。しかし、その表情は『いつもの』明のもの。薄い石膏の皮膜に包まれて、生の肌を見せてはいなかった。明は怒りなどしないだろう。学校に出てくれば、鷹揚に笑い飛ばしてしまうだろう。静のひどく混濁した心情を受け止める余裕を持って。
 だが、その当たり障りのない対応によって隔てられたものが何なのか、彼には分かっていた。
 
――やっぱりおれは縁結びなんて柄じゃない。

 予想外に複雑になっていた静の感情を見誤った自分を嘲笑う余裕ができたのは、明の家を辞してかなり経った頃だった。
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Comment

JJ : 2005-01-29(Sat) 23:38 URL edit
うぁ、修羅場だ。
灯さま怖いです。
メデューサですか?
静もちとカチンとくるところがありますが、心情はわかってあげたいなぁ。
でも、静が飛び出したときにナイス展開と思った私は駄目ですか?
インモラルも良いけど修羅場って素敵ですよね。
笙司眞一 : 2005-01-30(Sun) 01:04 URL edit
>JJさん
ご感想ありがとうございます!
灯の静かな怖さを上手く表現できていればいいなぁ、と思っています。感想を拝見して、ああ、上手く書けたのだなぁとほっと一安心です。
静は個人的にも書いていて楽しいキャラクタなので、今後も頑張って活躍させます。
修羅場、いいですよね。
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