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光について 4-1

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2004-12-26

光について

今回は灯モード。
六条の灯さまモード。
キャラクタがなかなか立たない。難しい。




 
 
 
 大至急でかけ込んだ弁当の味が、まだ口の中に残っている。午後一番の授業は数学で、理系教科に弱い灯をほどほど困らせていた。鼻筋の上、黄金の砂に喩えられる眠気の精が周期的に瞳を襲う。落ちかかる瞼を留めながら、半分夢の中で彼女は考える。
 一体この浮つきはなんなのか。まだ二十年にも達しない人生。中でもこんな感情は初めてだった。

(わたし、明のこと気にしてる…)

 つい一時間も前には自分の前に座っていた少年のことを考える。明は一人の他人だった。気軽に憎まれ口を叩くことはできないし、気まぐれにじゃれつくことだって出来ない。少年の薄い唇に浮いていたのは、警戒と倦怠であって、それは少女と少年を隔てる壁である。
 明はもはや他人である。幼少時の、混沌として未分化だった自己はもうない。お互いに一人で長い年月を過ごし、お互いに自分の居場所を築いてきた。彼女は地元の名家、資産家のお嬢様として。彼は前科持ちの父と二人暮らし、親の苦労を理解することが自我の形成と同意であるような環境に育った一人の平凡な少年として。
 だから灯は、今更血縁を持ち出すことが空しいことも分かっていた。彼女が心の中で抱いている明の姿は、事実血の通った実像ではあり得なかった。灯の中の明は、運命の残酷な斧によって断ち切られた片割れ。いつか自分を救ってくれる――血縁の強い絆ゆえに――男である。例えば兄弟姉妹を持たぬ人間が、兄弟に憧れるような、一点の曇り無い理想像が、現実の明の上に張り付いていた。

恋というものに興味がないわけではない。今だに決まった相手と巡り会ったことがないけれど、いつかは自分の隣に男が立っているのだろうと、漠然と理解していた。しかし、恋愛と呼ばれるひどく曖昧な本能の一形態に憧れることはなかった。灯の周囲に存在する血肉の通った男たちは、常に幻想の完全な存在に乗り越えられている。その男は誰よりも彼女に近しく、誠実で、雄々しく、彼女を包み込む。白馬の王子様。それはお手軽な空想を可能にする種であり、代償行為のようなものだった。

幾度となくシミュレーションを繰り返した会話は、それ自体が一種の娯楽であった。なにせ明は血の繋がった「姉弟」である。灯の行動は姉が弟に対して与える母性の変形であり、全人格を掛けるに足る行為ではあり得ない。例えば、教室で机を並べる男子生徒に弁当を作るかといえば、灯は決してそのような真似はしない。否、できない。だが、明にはできる。その些細な、しかし決定的な違いが、灯の心を浮き立たせていたのかもしれない。――まだ少女にリスクはなかった。


 

 
 
 
「灯さま灯さま、彼って二年の子なの?!」

 休み時間に入ると同時に、彼女の机の周りには、ことの成り行きを知ろうと友人達が集まってくる。始業ぎりぎりに教室に帰ってきた灯を問いつめようと、各人が授業時間をプランニングに費やしたことは明白だった。恋愛話がなによりも好きな年頃、友人達との会話はそのほとんどがある程度の割合で恋愛ゴシップを含んでいるのだから、遠からずこのように話題になることは分かっている。相手が気心の知れた友人であり、彼女自身心構えを持っていたこともあってか、灯の答えはすっきりしたものだった。

「馬鹿言わないで。彼氏とかじゃないわよ」

 緩やかに波打つ髪を一房、人差し指と親指で撫でる仕草は、照れや困惑を隠せないときに必ず出る癖だった。

「えー! 超乙女だったよ、灯さま。お弁当とか、真由クラッと来たもん」

 机の正面、身を乗り出してそう叫ぶ少女は、ひときわ小さい身体を冗談めかしてくねらせる。灯としては、自分のことを名前で呼ぶ、容姿だけ見れば発育の遅い中学生のようなこの友人、竹中真由子に、あまり場をかき回して欲しくない。その外見に比して、真由子は天然のトラブルメイカー、悪気があるのかないのか分からぬまま、真由子に引きずり回される男は少なくない。快活な素振りを見せたかと思えば、一刻後にはもう、笑顔を掻き消して沈み込んでしまう。 子供っぽいといえば、そのまま真由子を表す言葉になる。付き合いの深度が浅いうちは、灯もそう考えていた。しかし、二年生の一年間を共に過ごした今、「子供」というレッテルの皮相に気づくくらいには互いの距離を縮めていた。

「美希ちゃん、彼はどうだった? 格好良かった?」
「どうだろ。背は高かったけど。まぁ、灯さま、ああいうのタイプなのかって納得はした」
「それじゃ分かんないよ。顔は? 渋い?」
「渋いかぁ? どうだろ、灯さま」
「渋いって…。もう少しましな言い方はないの?」

 美希にはぐらかすつもりはないのだろうが、結果的に曖昧な表現に終始するのはきっと、彼女の中に明確な人物像が形成されていないからだと灯は思う。そしてそれは、自分もまた同じなのではないか。表面上の和やかさは、薄い、しかし強固な一枚の膜となって明と灯を隔てていた。

(あの目)

 視聴覚室での会話を思い出す。淀んで眠そうな明の双眸は、美希の一言に一瞬だけ――一瞬だけ反応した。それは殻から引きずり出されたカタツムリのように、生の、押せば潰れる弱さのようなものを持っていた。
 友人達の会話を背景にして一人沈思する彼女を引き戻したのは、真由子の何気ない一言だった。

「でもさでもさ、弟とフォーリンラブってインモラルだよね」

 大きなガラス玉のような真由子の目は好奇の色を湛えていたが、反面冷静な、値踏みする意思を秘めている。

「馬鹿言わないで。明は弟よ。ただ、今までずっと会っていなかったから…」
「だよねぇ、普通。兄弟と、とかちょっと想像できないもん、真由」

 いまだ軽口めいた真由子の発言を受けたのは美希だった。

「真由兄弟居たっけ?」
「居たよー。弟いるんだな、これが」
「へぇ。どんな感じ?」
「すっごく生意気。まだ中学生だからしょうがないんだけどさ」

 そう語る真由子は、普段の幼い仮面を脱ぎ捨てて、一瞬ひどく大人びた表情を浮かべていた。灯は友人の新しい一面を間近に目撃して言葉を失う。

(そう。弟は家族なんだ)

 「普通の」家族において、弟、妹は庇護の対象であり、寄りかかる対象ではない。もちろん灯も理解している。だが。灯の自問は続いた。自分と明はどうだろうか、と。
 数時間前に言葉を交わした少年には、彼女の記憶の中に棲む幼児の面影は全くなかった。見上げなければ目を合わせることが出来ないほどに育った体躯。彼女の顔をすっぽり収めてしまえそうな大きな掌。切れ長の瞳と薄い唇は一瞬酷薄に見えて、子供時代のやんちゃな笑みなど想像さえできない。
天嵩先輩。そう明は彼女を呼んだ。明にとって灯は「灯」ですらないのだろう。姉弟どころか、血縁にない他者よりももっと遠い存在として、自分はカテゴライズされているのではないか。明の父――そして灯の父でもある――が亡くなってから一ヶ月、加速度をつけて増した二人の接触回数によって埋め合わせることができるものは、果たして「姉弟関係」なのか。

(でも、明は弟。わたしの弟)

 心の外壁にナイフで刻みつけるように、彼女は心内で呟く。理由はなかったが、そうしなければならないと、無意識に考えたのだ。

心内の対話に一区切りついたところ、いいタイミングで真由子が灯に尋ねる。

「そういえば灯さま、お弁当どうしたの? アッキーはなんて?」

 どうやら真由子の中で、明の渾名が決定したようだ。

「もうお昼食べちゃったみたいで、結局渡せなかったわ」
「えーっ! それ酷いよ。ちゃんと食べて貰わなきゃ。もうこうなったら下駄箱作戦しかないね! ほら、下駄箱にラブレターとか入れるじゃない?」
「いるのかしら。そんな人本当に」
「いるよ。真由貰ったことあるし」
「うそ!?」

 灯と美希が同時に食いついた。対する真由子の満足そうな笑みは、悪戯を成功させた子供のように輝いている。

「さすが真由だわ。すごすぎ」
「いいでしょー。もう青春しちゃったよ」
「それでどうしたの? その手紙。付き合ったりしたの?」
「しないよ。だってキモかったし」

 何気なく酷い台詞をさらりと言い切る真由子に、灯は苦笑を浮かべて聞き返す。

「やっぱり気持ちわるがられるんじゃない」
「でも、灯さまなら話は別だよ。真由だって、手紙くれた子が格好良ければ付き合ったし。灯さまが気をつけなきゃならないのは、『情念系』だと思われること。これが一番不味い」
「『情念系』?」
「うーん、ほら、別れ話されたら逆上して、包丁でブスリ! って」
 けらけらと甲高い声で真由子が笑う。その後に美希の失笑が続いた。それはつまり、友人達に自分がそう見られているということなのかと、灯は言葉もない。

「馬鹿なこといわないで。なんでわたしが!」
「今日授業でやったじゃん。六条の……、なんだっけ? 古典のさ」
「六条御息所?」
「そう、それそれ。あんな感じ。灯さまみたいな美人系が一番恐いよ」
「もう! どういう発想なのよ」

 六条御息所とはまたとんでもないレッテルを貼られたものだと呆然とするが、怒りは湧いてこなかった。美希も真由子も冗談で言っているのだと分かっている。実際のところが分からないとしても、冗談だと信じていたかった。

愛する男を他の女と取り合い、嫉妬の末に生き霊と化して、ついには相手を取り殺す。古典の時間に習った六条御息所の行状は、褒め言葉には到底なりえない酷いモノだった。正直なところ、紫式部が創作したこの人物に対して、彼女は全く共感できない。恋というものがあるとして、恨みの余り化け物になるほどのものなのだろうか。まだ恋心など抱いたこともない灯にとって、それは下らない空想劇にすぎない。
最高度の身分と知性、美貌を持つ、誇り高い女をいとも容易く悲惨な境遇に貶めてしまう、激烈な心の動き。それは灯にとって、恐怖以外の感情を抱かしめるものではない。

(わたしは恋なんて知らない)

 ならば、六条御息所は褒め言葉ではないか。知性と身元、そして美貌。彼女は確かに、その全てを持っているように見えたし、自覚もしていた。誇ることはない。だが、灯が「美しく」「大金持ちの娘」で「頭がよい」ことは事実である。鼻に掛けることはないが、気づかないふりもしない。ありのまま堂々としていたいと思ったのだ。しかし、彼女のそんな心情こそが、美希に「灯さま」と、戯れにも呼ばせるような雰囲気を作り出していることに、彼女は一方で気が付かなかった。

「で、六条の灯さま、お弁当は早く食べてねってメモ入れておいた方がいいよ。最近暑くなってきたし、痛んだの食べてアッキーがお腹壊すようなことがあったら恥ずかしいしねー」
「馬鹿なこと言わないで。そんなこと…」

 言いかけて彼女は口を噤む。真由子の言葉を否定しながら、メモに書く文面を考えている自分に気が付いたのだ。耳たぶに血が集まる感覚。真由子には全て見透かされている。そう思うと気恥ずかしかった。

短い予鈴がなって、次の授業が始まる。自席に戻るその際に、美希がぽつりと呟いた。

「どうでもいいけどさ、灯さま、『馬鹿なこと言わないで』って口癖だな」
 
 
 <4-2へ続く>
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